表現に関わっている人間だから、他の人よりもよくそういうことを考えてしまうということもあると思うけれど、ただ一人の人間として生きているだけで、よく感じることがある。人に自分の考えを伝えること、人の伝えたいと思っていることをきちんと受け取ることは難しい、と。
今、ロラン・バルトの「明るい部屋」を読んでいる。写真論。その中の「写真は『かつて、それは、そこに、あった』ということを示す」という言葉は、有名だけれど、写真を見るということは、その写真が撮られた瞬間に、そこにあった物が、その撮影者に向けて反射した光を、今その光が死んでいる時間に、受け取り直すことだ、という辺りの言葉に、ある種の魅力を感じた。
数週間前、何か新しいことを始めたくて、今度は絵を習い始めた。高校以来絵なんて描いていないから、デッサンから。でも、ただコップとか一つの物だけが私の目の前にあって、私はただそれを見ている。そんな変な時間がとても好きだ。
物を見て、それから目を離して描くと、それは「観察」ではなくて、「記憶」になってしまうから、デッサンの時は、右利きの人は左斜め前に物を置いて、描くらしい。おもしろい。
就職してしまったら多分続けられないと思うし、そんな4,5ヶ月だけしても、と始めは思ったけれど、始めてみると、やっぱり物事を始めるのに、遅すぎるということはないんだな、と思う。4ヶ月なら、4ヶ月分の学べることがある。それで充分だ。何もしなかったより、絶対に何かを得ている。
で、話はずれたけれど、その絵の先生がおもしろいことを言った。「リンゴがある。一番光が真っ直ぐに当たって、一番明るいところは「赤」だけれど、それ以外は、本当は「赤」じゃなくて、「赤に近い緑」だったり、「赤に近い黒」だったりする、と。
すぐ隣で同じ物をデッサンしても、光の当たり方が違って、全く同じにはものは見えない。本当にその瞬間、その人が受け取った光を知るためにはどうしたらいいか。それは写真を見るしかない。でも、そこには時差が生じている。それはおもしろいと思う。そして、一種の残酷さを潜めていると思う。
人に思いが伝わるためには、時差が必要なのかもしれない。
私は卑怯者なのか、結構簡単に、この人にはどうせ私の言いたいことなんて分からないよ、と、口をつぐんでしまうように思う。論争しないで、黙り込んでしまう。物を書いている人間のせいか、咄嗟に言葉が出てこない、というのもあると思うけれど、ただあきらめてしまっているのかもしれない。
でも、自分の体験を考えてみる。そうすると、その言葉をいわれたときは、全然分からなくて、何言ってるの?という感じだった言葉が、ある瞬間、鮮明に浮かび上がってきて、あぁ、あの人はあの時、このことを言いたかったのか、と思えたりする。大学1年の頃、そんなことを結構真剣に考えた。そして、そんな言葉は、言われたときはカプセルに入っていて、しばらく時間が経ってから、もうその言葉が、何の作用も及ぼさなくなったときに、割れて、意味が流れ出すのかもしれない、と思った。
それは、無駄なことだろうか?カプセル入りの言葉を吐くのは無駄なことだろうか?
1年の頃、別れを決めた女の人が、男の人に置き手紙を書く、というその手紙を小説にしたことがあった。今読み返すと赤面ものだが、その中で私はこう書いている。「私は最近思うのです。人に伝わらなかった言葉の意味というのは、例えばシャボン玉のようなカプセルに入っていて、見えなくても、私たちの周りに浮かんでいる。そしてずっと経って、今更どうしようもなくなったときに割れて、あの時あの人の言っていたことはこういうことだったのか、と私たちはやっと理解する。本当に救われないことです。でももし私の心を、どんなに後になったとしても分かってくれたのなら、それから先あなたと出会う人は、私と同じ悩みを持たずに済むかもしれない。…この文自体あなたが一方的に悪いと言っているみたいですね。ごめんなさい」「多分ここまで読みながら、あなたはそんな河のことを悠長に言っている場合ではないと思っている。私が今まで言ってきた言葉は、全て殻の厚いカプセルの中に入っている。でも、もうそんな虚しさを感じるのも最後だと思えば、あなたの周りをカプセルだらけにするのもいいかもしれません。」
カプセルが割れたとき、もう私とその人とは関係がなくなっているだろう。でも、自分との関係がどうにもならなくても、離れていてもその人に影響を与えられる可能性があるのなら、伝わらないこと覚悟で、たくさんカプセルを飛ばすべきだ。
何となく、最近そう思う。
言葉でいくら立派なことを言っても、その言った人間の行動が信頼に足るものでなければ、その言葉は大した威力は持たないだろう。でも、言葉というものは、恐ろしいほどの力を持っている。自分の言葉の力を信じたい。伝わらないとあきらめないで、伝える努力をしていきたい。
傷つけるためではなくて、
あなたを支えるために、
私の言葉が力を持てばいい。