天草四郎をモデルとして書いた野ばらさん唯一の時代小説「デウスの棄て児」を読んだ。
去年の夏ぐらいから野ばらさんファンをしているけれど、あと「ロリヰタ。」を読んだら、野ばらさんの小説は全部制覇したことになるな。
でも全部読んでしまったら、あとは新作が仕上がるのを待つしかないのだなぁ。淋しいっ。
Contents
時代小説
「デウスの棄て児」は時代小説というのもあり、他の作品と少し違う部分もある。一番大きいのは文体かな。
野ばらさんの特徴である「です」「ます」調がかなり隠れていて、それにちょっととまどう。
あとは舞台が壮大すぎる。普段は、かなり閉ざされた世界を書いている人だから。
せっかく有名な人物、史実を出してきたのだから、その広がりを生かした方がいいんじゃないかなぁ……なんて生意気にも思いました。
揺らがない視線とテーマ
ただそれでも、野ばらさんの主張はいつも揺らぐことなく、同じようなところに存在し続けている。
世の中に対する冷めた視線、それでも世の中もそこに生きる人も心から嫌いにはなれずにいる苦しさ、切なさ、そして幸せ。
誰にも理解されないと思っている主人公が最後には、人と心から分かり合える。
この「人と人は分かり合えないけれど、でも、分かり合える人は必ずいる」というメッセージ、「人は弱いものだけれど、だからこそ弱いもの同士で団結するのではなく、一人ひとりで戦え」という主張。
揺らがないテーマのある作家はいいなと思う。
太宰と三島と野ばら
野ばらさんは太宰治のファンらしいが、人や自分の弱さをきちんと認識した上で、それから目をそらさず、それに打ちのめされず、「生き延びてやる」と思っているところが好きだな。
私は太宰より三島由紀夫が好きだけれど、三島は太宰と逆で、人に自分の弱さを見せることを極端に嫌悪した人だと思う。でもそれは、三島が太宰と同じぐらい、自分の弱さを知っていたということかもしれない。……だからこそ私は三島が好き。でも、どんな思想を持っていたのであれ、自殺するのはいただけない。
野ばらさんは、太宰にも三島にもならない、独自のバランスで「人の弱さ」と向き合っている人の気がする。
正直、三島の方がやっぱり「上手い」のだけれど、野ばらさんの生き方も、作品も、私は好きです!