邦画

「八月のクリスマス」

山崎まさよし主演映画、観てきました。

知っている人は知っていると思いますが、私はまさやんファンです。

9月24日は、雨でずぶぬれになりながらも雨合羽姿で数時間立った姿で、ライブを聴いていました。

(横浜の赤レンガ倉庫のところで野外ライブがあったのです。デビュー10周年イブということもあってか、2万人ほどの人が集まり、なんだかとても感動的な場と空気でした。ミュージシャンというのは、曲だけではなく、ああいう場を提供できる人のことを言うのだなと思った時間でした)。

 

うむ……

と、まぁ、ファンだと断った上で書きますが、正直、この映画はいかがなものか……というのが素直な感想。

きつい言い方をすると、「予告編の方が伝わってくる」という感じ。もしくは映画を見る前にまさやんの作った主題歌を聴いて、想像していた世界の方が美しかったというか。

この映画を見てまず思ったのは、元になった韓国の映画を見たいということだった。多分、韓国の映画の方がよくできているのだろう(まぁ、実際に見る前に言うのはなんですが)。

 

多分、監督がいけない。もしくは脚本家。

説明しなくてはいけない部分を省きすぎ、ない方がいい台詞を入れすぎている。字余りと字足らずの句ばかりが並んでいる感じ。

「このときどういう気持ちでそういう行動に出たの?」「この人は何をどこまで知っているの?」という基本的な情報が伝わってこないから、感情移入するまえに、それよりずっと手前で立ち止まってしまう。

あとはつっこみどころが多すぎる。そりゃないだろう、と思うことが多すぎて疲れた。

テーマというか視点はいいのに、なぜそれを生かし切れないのだというもどかしさ。

 

役者ではない……

あと、これを言うと、もっと過激なまさやんファンには怒られるかもしれないけれど、やはり彼はミュージシャンであって、役者ではないです。

「月とキャベツ」は結構良かったのだけれど、それはきっと、あの中の人物がまさやん本人に近く、演じるというより生き様を上手く表せばよい類の「役」だったからだろう。

こういう、「余命幾ばくもない人」というのは、役者にだって演じるのが難しい(しかも、こうやって淡々としたドラマでは、ストーリーよりシーンの雰囲気や演技でひっぱっていかないといけない)のだから、きちんとした役者を使うべきではないかという気がした。

表現というのは本当に奥の深い世界だから、それをなめてはいけない。

ただ、その厳しさを表現者のまさやんが知らないわけはなく、なんとなく、「10周年だ」という流れに逆らえず、押し流されてしまっているのではないかという気がしてしまった。

まさやん自身はインタビューでいつも、「僕は役者じゃないから」と繰り返していたしね(でも、役者をするのもまんざらでもないという感じだけれど)。

 

私はやはり、この映画は、韓流ブームや、まさやんの人気に便乗して動員数を稼げばいいという安易な考えで作られたものに思え、ちょっと残念だった。

 

いいものは時間をかけなければ作れない

このあいだ雑誌のインタビューでまさやんが「いいものは時間をかけなければ絶対に作れない」と語っていて、ものすごく心に響いたけれど、最近まさやんはテレビや雑誌やイベントに本当によく登場するし、本人も「忙しい」とコメントをしていたから、ファンとしてはやはり少しばかり心配。

まぁしばしばまさやんの姿を見られれば嬉しいけれど、それ以上に自分が納得いくまで時間をかけて作った音楽を聴かせて欲しいな~、などと思う。

でもこの映画の「失敗」の仕方と、「時間をかけて作る」という言葉を考えたとき、アマチュアとプロの作家の差も、そういう「あと一歩」であったり、ちょっとした「字余りと字足らず」を生み出してしまう甘さにあったりするのだろうなと、勉強になった。

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