今朝、右上の奥歯がなんか変だな?と思い、
舌で触っていったら、右下の奥歯もなんだか変な感じがして、
あれ?と思った。
おかしいのは歯ではなくて、触っていった舌の方だった。
そういえば昨日食事中に噛んでしまい、傷ができていた💦
「あぁ、あるよね、そういうの」というバカな話なのだけれど、
人生において「何もかもうまくいかない!」となっているとき、
実は問題は「何もかも」にあるのではなくて、それを認識している「一つのもの」にあるのかもしれない。
Contents
「ただ、指が折れている」
このサイトに書いたこともあるかもしれないけれど、「桜桃の味」という映画の言葉が好きで、「何もかもうまくいかない!」となったときはよく思い出していた。
その映画は、自殺したいと思った男が、自殺するのを手伝ってくれる人を求めて旅をするという話なのだけれど、
死にたいと思っている男を車に乗せてあげた男が、こう言う。
あんたはトルコ人じゃないから一つ笑い話をしよう。怒らないで……。
トルコ人が医者に言って訴えた。
「先生、指で体を触るとあらゆる所が痛い、頭を触ると頭が痛い、足を触ると足が痛い、腹も痛い、手も痛い、どこもかしこも痛い」医者は男を診察してこう言った。
「体はなんともない、ただ、指が折れている」
あんたの体はなんともない、ただ考えが病気なだけだ。
わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。ほんの小さな桑の実に。
あんたの目がみてる世界は本当の世界と違う。見方を変えれば世界が変わる、幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。
この言葉を紹介した記事は、以前書いていたブログで今も一番人気で、気づいたら10万PVを超えていて、驚く。
→ 我ながら昔の私もなかなか良いこと書いているなと思うので、良ければ読んでみて♪
「すべてがうまくいかない、もうダメだと思ったときの対処法」
間違っているのは「考え」であり、「信念」
前のブログでこの話を紹介したときは、心が弱っているときは、すべてがマイナスに見えるよね、という話で終わらせたけれど、
スピリチュアル的にこの話を改めて考えると、誤った「信念」を持っている限り、望んだ現実は見れないという話でもあるな、と思う。
たとえば、家庭でも、職場でも、友人関係でも、異性関係でも「自分は大切にされない。私は誰からも嫌われてしまう」という人がいたとする。
三次元的に考えると、家庭・職場・友人関係・異性関係と4つも問題を持っているように見える。
そして、一つ一つの事象に対してアプローチしようとする。
でもこういう場合、まず手を打つべきは、自分の「信念」に対して。
なぜ人から大切にされず、人から嫌われてしまうのかというと、自分がそう信じているから。
「私は人から大切になんてされない人間なんだ」「人からいつも嫌われてしまうんだ」と。
目に見えている世界は、ただの映像で、映写機と映画のフィルムは「私」が持っている。
だから、映画のフィルムを違うものに変えない限り、外に見えている状況は変わらない。
そういうことを、エイブラハムは言っている。
でも信念を変えるのは難しい
でも、「信念」って、自分が「絶対これは本当だ」と長年思ってきたことだから、変えるのは難しい。
バシャールは、「信念を変えるのが難しいのは、それが難しいとあなたが信じているからです」と言っていて、そう言われると“あぁ、そうですよね”となるんだけど、でも、三次元で何十年も生きてきたら、やっぱり難しい!(バシャールは三次元の世界を生きたことないから言えるのよ!と(笑))
でもHappyさんは言っていた。
「もしそう思えなければ、まずは“かもしれない”から始めてみるといい」と。
自分はみんなから嫌われると思っている人が、「私は人気者」なんて急に思うのは難しい。
でも「みんなから嫌われているわけではないかもしれない」「私のことを好意的に思ってくれる人がいるかもしれない」と思うのは、それよりは大分易しい。
パキラのとき、メンバーの中に、色々な結果を出している“成功者”に見えるけれど、信じているのは自分の力だけで、すごくガードが固い人がいた。
その人にHappyさんは言った。
「世界は優しいかもしれない、とまずは思ってみて」と。
彼女はパキラ稽古の数か月、そう思おうとし続け、公演の頃には「世界は優しい」と信じられるようになっていた。
思いこめば、その証拠を脳は探し出す
脳には、優秀な検索機能があると言われる。
だから、「なんでダメだったんだろう」と考えると、脳はそのまま「ダメだった理由」を検索し続けてしまうらしい。
だから逆に「世界は優しいのかもしれない」「私は愛されているのかもしれない」「私には才能があるのかもしれない」などプラスの投げかけをすると、そうであるプラスの証拠を脳は探し出してくれる。
だから、もし自分の人生に不具合をきたしている、いらない信念に気づいたら、
最初は「かもしれない」から、ちょっとずつ塗りかえていってみよう。
間違った信念が訂正されるということは、トルコ人の例えの「指の骨折」が治るようなもの。
それはあなたの人生の、思った以上に広い範囲に、良い影響をもたらす!