気づいたらブログの更新が1年半くらい止まっていた!
止めている自覚はあったけれど、こんな長期間だったとは(笑)
ということで、久しぶりの更新は、この数年間の意識の変化について。
Contents
結局、思考じゃなくて感覚なんだ
最近の気づきをまとめると、もうこの一言。
「結局、思考じゃなくて、感覚なんだ」
今まで、「公園でノートを広げて、思考の整理をする」とか、ノートや文章、思考至上主義だったけれど、
この数年で行き着いたのは、
「結局、頭で考えるから、色々おかしくなっているだけなんじゃない?」
という身も蓋もない結論(笑)
エイブラハムは「ソースと繋がる」ということを繰り返し言っているけれど、
エイブラハムを信じなくても、
結局仏教でも、東洋思想でも、そのほか諸々のスピリチュアルな教えでも行き着く先は同じで、
私たちはただワンネスな、ただ一つの大きなエネルギーでしかなくて、
そこに繋がっていればいいのに、「思考」が余計な「個」を作り出すから、
そこから分離して、勝手に孤独とか不幸とか、不安とか味わっている。
それだけなんだよね。
思考を止め、瞑想していたら分かった
私は2017年の夏からHAPPYさんのブログや発信にすごく影響を受けたし
(HAPPYさんはもともと、エイブラハムの思想を分かりやすく解説することで人気になったインフルエンサー。私はHAPPYさんの発信をきっかけに「引き寄せの法則」の本当にいわんとすることが分かり、そこからエイブラハムの本に興味を持ち始めた)
2021年にはHAPPYさんのすぐそばで数か月過ごさせてもらったけれど、
この1年でようやく、その頃言われたことが、「あぁ、このことか」と本気で腑に落ちた感じがした。
それはどうしてかというと、2023年6月から毎日欠かさず瞑想するようになったから。
頭で理解しようとしていた頃は、分かった気でいただけで、肚落ちはしていなかった。
「私」とは海のなかの生け簀のようなもの
瞑想が習慣になって、無駄な思考を止められるようになると、「自分」というものがどんどん薄くなっていくような感覚があった。
瞑想を初めて一か月くらいしたとき、急に
「あ、私って、ただの海の中に設置された生け簀みたいなものなんだ」
と思った。
他から完全に切り離された確固たる存在だと思っている「私」というのは幻想で、「私」は生け簀のように荒く囲われただけの、何か大きなもののほんの一部なのだ、と。
( ↓ 魚は行き来できないけれど、海水は普通に出たり入ったりしているし、生け簀とは独立した湖でも池でもない、「海の一部」)
私はまだその感覚を常態化できていなくて、まだまだ「現実世界」で起こった出来事に右往左往しちゃうこともあるし、目の前の物事をどうにかしようと頭で考えてしまうこともある。
でも、目指すべきゴールはここなのだと、分かった気はした。
つまり、思考を止め、「私」をできるだけ薄く、透明化し、ソース(大いなる存在とか、神とか)の一部であることを思い出し、その「一部」としてここで生きること。
HAPPYさんは、「『私』(思考が作り出している幻の私)だけの力で現実創造しようとするのは、小指だけで50メートル走を走るようなものだ」と言った。
「もっと全身を使おうよ。足も腕もあるんだから」と。
それはつまり、「私」は生け簀のような小さく限られたものじゃなくて、大海そのものなんだということ。
でもこの言葉だって、言葉だけじゃ、多分なにも伝わらない。
言葉は思考だから。
思考を止めて、自分で大海を感じないと、分からない。
瞑想を習慣にするための超お薦め動画
そうは言っても、多くの人は思考を止めるのは苦手。
私も今までは瞑想しようと思っても、気になることがあるときはそのことをつい考えてしまって、瞑想どころではなくなっていた。
逆に強い思考が湧かないときは、眠気に襲われて、船を漕いでいたり……。
そんな私が毎日瞑想できるようになったのは、ヨガ講師・ぬんさんのお陰。
去年YouTubeでお薦め動画として、ぬんさんの瞑想動画が出てきて、やってみたら、はまった。
「ただ静かに座っていつもの呼吸を観察しましょう」というのではなく、15分で3種類の呼吸法を誘導してくれる動画。
手を使ったり、数を数えたり、イメージで呼吸を体のなかで上下させてみたり、まぁまぁ忙しく、最初はまったく思考する隙がないし、寝る暇もない(笑)
それがすごくいいな、と。
解説編と実践編があり、解説編を1,2回見て内容が頭に入ったら、あとは実践編だけを繰り返す感じ。
実践編のぬんさんの誘導は必要最低限だし、淡々としていて、私にはとても合った。
下記に解説編と実践編の動画を貼りつけるので、是非一度は試してみて欲しい。
瞑想のメリット
瞑想のメリットは色々言われているけれど、自分が感じたメリットは大きく3つかな。
- 小さなことがあまり気にならなくなった。
苛々することが減ったし、まだ起きていないことに対する不安感もぐっと減った。
「まぁ、どうにかなるでしょう」「それが起きたら、そのとき考えよう」みたいに思うようになった。
「今、ここ」に意識を置いておかれる時間が増えたということかもしれない。
大袈裟に言うと、日々、とは言わなくても、一か月ごとくらいには自分の性格が変わっていっている感じがする。
- 頭で構成を立てて、ノートにしっかりまとめて……とかしなくても、小説を書き始めると、そのまますらすら書けるようになった。
だから、書くことが以前よりもっと心地よくなったし、以前は3作に1作くらいしか納得いくものが書けていなかったけれど、今は打率が上がっている(ただの自画自賛力増加かもしれないけれど(笑))
- 自分軸が強固になった。
以前から結構マイペース人間だと評価されてきたけれど、自分では、人の意見に結構揺れている感じがあった。
それが、大分減ったなと思う。
まだ「あぁ、やっぱり〇〇しなきゃダメだよな」「私は〇〇さんのように△△してないものな」みたいな思考が湧くこともあるけれど、「本当に、そう?」と自分で自分に素早くツッコミを入れられるようになったという感じかな。
と、今、思いついたまま書いたから、他にも色々ありそうだけど……思い出したら、この記事自体を修正しようかな(笑)
とにかく、瞑想して損はない!
思考が強いときには、「その時間が無駄」と思いがちだけど、SNSとか無駄に見て潰している時間が1日15分あるなら、それを瞑想時間にしたら、恩恵は100倍!
あくまで個人的な意見だけど……でも、瞑想を習慣にしている多くの人は、同じことを言うとは思う。
最後に
更新が久しぶり過ぎて、書きたいことが色々溜まっていることに気づいた!
けれど、一つの記事に色々詰め込んでも、取っ散らかりそうなので、今度はあまり間を空けず、また更新したい。
結局、言葉や思考、理論で行きつけるところは限定的だけれど、言葉や理論は、「行き着くべき場所はこっちの方にあるよ」「それはここからどれくらいの距離だよ」「こういう行き方だと、目的地に早く着けそうだよ」と指し示すことはできるのかもしれない。
なので、その程度の役割だと認識したうえで、私も時々はまたブログで発信していこうかな、と。