Well Beingの実践

その未来はすでにある

エイブラハムではなくて、バシャールが言っているのかな。

何かを望んだなら、「その未来はすでにある」という言葉をときどき聞く。

前は、「へぇ」くらいにしか思っていなかったけれど、最近、「それは、そうだよね」と思えている自分に気づいた。

 

そのページはもうあるから

先週、「「パキラ」から1年」投稿をし、久しぶりに以前書いたパキラ関係の記事を読み返してみたりした。

で、「パキラ合宿」のところに書いた、最終日にした瞑想とそのときのHappyさんの言葉を思い出し、これまた久しぶりに味わった。

 

ちょっと抜粋する。

最後の瞑想の設定が良かった。

「もうパキラの舞台は終わりました。
そして半年が経ちました。
今はパキラメンバーでの同窓会です。

そのとき感じているであろう感覚を
味わってみてください」

私は、脚本家・小説家として
HTLの外でも活躍している、
自信と誇りに溢れた
自分の感覚が捉えられた。


最後にHappyさんが言った。

「もうその未来はあります。

でも今、
本当はまだパキラは
終わっていません。

ここからパキラ本番、
そして今見た未来に向けて、
一ページずつ
物語を進めていけるのです。

それを味わいましょう

 

あるんだから、「今」を味わおう

実際は1年経った今でも、現実は特に変わらず、「脚本家・小説家としてHTLの外でも活躍している」状況ではないけど(笑)

でもこの1年で内側は本当に変わったから、あと2年くらいあれば、多分、すごいところまで行っている自信がある。

 

ただね、大事なのは、「2年後、そこにいる」ことでは実はないんだな。

ここが、今まではずっと分かっていなかった。

 

「パキラ」前までは、大した結果を出せない自分と、自分を評価してくれない外側に苛立ちがいつもあり、「望む未来」にいつだって意識は飛んでいた。

本当に力がある「今」を置き去りにしていた。

だから、望む「未来」を作れなかったんだ、と今は分かる。

 

大事なのは信頼

でも、なんで「今」を置き去りにして、「未来」に意識を飛ばしてたのかと考えると、その未来に行けるという確信がなかったから。

「今」を犠牲にしてでも、一生懸命未来をイメージしたり、そこに向けて努力しなくてはいけないと思っていたから。

 

でも、「すでにその未来はある」「すでにそのページはある」と心から思えたら、人はどうなるだろう?

小説の最後がハッピーエンドだと知っていても、人は最初の10ページだけ読んで、最後の10ページに飛んでハッピーエンドだけ味わったりはしない。

なぜなら、そのあいだにある「過程」を楽しみたいから。

 

人生だって本当はそうなんだよね。

 

結局足りないのは何? と考えると、信頼なんだ。

その未来が、その1ページがすでにあると言うことに対する信頼。

自分がそこに必ず辿り着くという信頼。

 

その信頼さえあれば、「今」ふっと力が抜け、今、目の前にあることを楽しめる。

そして、「今」に戻った意識が、力強く、でも潜在的に、未来を確実に創り、自分の近くまで運んできてくれる。

これが、エイブラハムやバシャールのいう現実創造の仕方。

 

私が「パキラ」から1年経った今でも、外側に特に変化はないのに、以前のように焦らず、のんびり構えているのは、「時期が来れば動く」と分かっているから。

そう信頼しているから。

(これをやったほうがいいという感覚にそって、ちゃんと動いてもいるしね。受け取る準備はちゃんとしている)

 

How Toは考えない

そう、未来を創るのは、自分の顕在意識ではなく、潜在意識。

エイブラハムが言うソースエネルギー。

 

だから、Happyさんもよく言っているけれど、「人間の限られた思考」ではそこへ行くルートは分からない。

自分の限られた知識や知恵でHow Toを考えても仕方ない。

 

だからこそ、望む未来からの声がけである、「あ、これやったほうがいいかも」「これ、楽しそう」みたいな自分の感覚を研ぎ澄まし、今にいることが大事なわけ。

 

「パキラ」から時間が経って、冷静に思った。

1.35年間小説を書いてきて、20年間文学賞に応募し続けてきた人が本を一冊商業出版する。

2.学生時代数年間演劇をやっただけで、25年間完全ブランクだった人間が5000万円費用が掛かる舞台の作・演出を任され、のべ5000人の人に作品を見てもらう。

 

「1」に比べて「2」の難易度って100倍近い💦

なのに、「1」じゃなくて「2」の方が実際には現実化している。

 

というか、「2」みたいな奇跡的なこと起こしているのに、1冊も本出せていない私って、なんか受ける! とか、思うようになった。
(kindle本は、自分で勝手に登録しただけで、商業出版じゃないのです)

 

私は25年、完全に演劇から離れ、演劇をまたやりたいとも思っていなかった。

多分、だから逆に叶ったんだなと思う。

「絶対大きな舞台で、作・演出したい!」みたいに思っていたら、多分、叶っていない。

 

きっとそういう夢を持っていたら、コツコツ努力型の私は、毎年何作も脚本を書いて、賞に応募して落ちる……という小説と同じことやってたと思うから(笑)

「この方法しかない」という思い込み、本当に危険。

 

望む未来への一歩なのだと信頼できる安心感

今は、懲りずに久しぶりに文学賞に投稿してみて、結果待ち。

でも、以前と意識は違う。

 

前は「毎年この賞に出す」と決めた賞に出し続けていたけれど、今回は「あ、これいいかも」と思った賞に送ってみた。

そして、「獲れるかは分からないな」と思っている。

(以前は、「獲れなかったらどうしよう」「きっとダメだ」という思いを打ち消し、「絶対取れるんだ」と思いこませている感じだった。)

でもそれは、弱気にそう考えているのではなくて、流れを信頼している。

 

その賞のために作品を仕上げることは、「望む未来」への一歩だった、という信頼。

それが「賞を獲る」という結果に繋がるのかは分からないけれど、「望む未来」に何らかの方法で必ず繋がっていると思える安心感。

そう、安心感だな。

 

安心感があるって大きい。

現実的な結果がどっちに転んだって大丈夫。

だって私は望む未来に、必ずある一ページに向かって進んでいるだけだから、という想い。

その安心感は、「望む未来」を本当に手にしたときの高揚感より、本当はとても大切なものかもしれない。

 

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