舞台「パキラ」全記録

「パキラ」から1年

去年の今日、「パキラ」の千穐楽だった。

「パキラ」から得たものは本当に大きく、この一年は、そこで抱いた感情、自分に足りないと感じたものとじっと向き合ってきたように思う。 

 

「パキラで得たもの」……それは、1年経った今でもまだまとめきれないかもしれない。

でも、一つの区切りとして、書き記してみようと思う。

 

得たものは大きく3つ

  • 「執着」の浄化
  • 向かうべき方向の明確化
  • 肚の力

大きく分けるとこの3つ。

そして、得たと同時に、課題としてあぶりだされたものも色々あった。

それを一つ一つ、書いていってみようと思う。

 

「執着」の浄化

「パキラ」のときは、私が「25年ぶりに演劇の世界に戻った」という部分が強調されていたけれど、

私自身にとっては、25年前の役者としての挫折より、

「35年間小説を書き続け、25年間様々な文学賞に応募し続けているのに、デビューできない」

という、文章の部分での、毎年繰り返される“挫折”の方が大きかった。

 

なんで自分の描きたい世界が、自分の文章が評価されないのだろう。

その思いとずっと戦ってきた25年だった。

 

ずっと、下読みが、選考委員が、編集者がいけないんだ、と思っていた。

ずっと、そこの壁にぶち当たっていた。

 

でも「パキラ」で、下読みも選考委員も編集者もすっ飛ばして、自分の描きたかった世界が、私が書いた台詞が、たくさんの人に届いた。

しかも文章の形でそのまま届いたのではなく、たくさんのスタッフ・役者・ダンサー……みんなが力を合わせてより良いものに創りあげた作品届いた。

それは本当にありがたい、素敵な経験だった。

 

そしてパキラが終わって少し経って落ち着いてから気づいた。

あ、私もう以前のような強い想いで、文学賞を欲しいと思っていないな、と。

そして、また気づいた。あ、そっか、今までむちゃくちゃ「執着」してたな、と(笑)

 

これは成長。

ただ一つ分かった課題もあって……

 

それまでは「自分の作品に対して、周りは正当な評価をしてくれない」のだと思っていた。

でも、「パキラ」に対する賛辞を自分がちゃんと受け取れていないことに気づいたとき、

「私が私の作品を評価していなかったんだ」ということが分かった。

 

そっか、それじゃあ、人から評価もされないよね。

 

でも、課題が人から自分の問題に変わったことは、きっとものすごく大きな変化。

 

向かうべき方向の明確化

向かうべき方向の明確化、というのはシンプルで、

「私は『書く』ことでこれからも勝負していく」と、
よりブレず思うようになったということ。

 

舞台とか映画とか、小説以外の表現には、文字だけではない様々な情報が入れ込めて、いいなと思う部分もあるけれど、それでも私はあくまで「文章だけでどれだけ表現できるか」に徹底的に向き合いたいなと思う。

変わることがあるかもしれないけれど、今は。

 

自分が頭に描き、小説や脚本という形にしたものを元に、誰かが映画とか舞台とか創ってくれたら、それはとても嬉しいし、どんなふうに自分の作品が広がったのか、是非見てみたい。

でも、自分で映画の監督をしたり、舞台の演出をするのはちょっと違うかな、と。

 

私はあくまで文章の段階で、最大限の表現をする。私はそこに全責任をとる。

でも、その後は、もう人に渡していい。

私が100%思うままに創造するのは、小説なり脚本なり、文章の段階まででいいと思うんだ。

逆に、そこから先は、自分では想像つかない方向へ、作品を成長させてもらえたら嬉しい。

私はそこで得た刺激を元に、また新しい作品を書く。

それが理想。

 

2020年8月、私はノートに大きくこう書いた。

「私は天才の一人として、ここに立つ。そしてたくさんの天才たちとワクワクするような創造を楽しむ」

それがパキラで一つ叶った。でもまだまだ貪欲に、次の「天才たちとの創造」をしていきたい。

 

肚の力

そして、何より大きかったのは、「肚の力」かもしれない。

これは、まぁ、ちょっとついたようで、まだまだここから! って課題部分でもあるけれど。

 

私は結構好き嫌いがはっきりしていて、子どもの頃から色々な人に「わがままだ」と評されてきたし、

仕事でも2007年に自分の事務所を立ち上げ、その後、社員に戻るという経験などしているのだけれど、「事業主」意識は2007年から持っているから、社長に「この給料では、こんなに責任ある仕事はできません」と給与の値上げ交渉してみたり、まぁまぁ強く生きてきたつもりだった。

が、全然違った💦

 

「パキラ」で痛感したのは、「私……弱っ」ということ。

 

怒りのワーク

分かりやすく痛感したのは、「怒りのワーク」で。

全然威圧感のない しぐまさん相手に一方的にやられている自分に、「え? 大丈夫、私?」と思った💦

あれ、こんな弱いはずじゃなかったぞ、私、と。

 

でも今振り返って考えると、稽古始まってから、なんかずっと意識の中で自分はすごい下のほうに入ってしまっていた。

「演劇やっていたのは25年も前の数年ですし……」みたいな思いもあって。

それでいつも以上にパワーを削がれていたときだったのかもしれないけれど、本当、「私、弱っ」とびっくりした。

 

成功者に弱い

あと、私は成功者に弱い。

自分が成功していないって思っているから、「あ~、こいつ大した実績とかないじゃん」と見られてるだろうな、と、勝手に思って、勝手に委縮しちゃうところがあった。

だから、音楽を創ってくれた山田さんとやりとりするのがきつかった(山田さん、若いのにすごい実績あるから)。

送ってもらった音源に対して、「ここの部分、こうじゃなくて、こうがいいです」と、“私ごときが”言っていいのだろうかという想いとすっごい戦ったなぁ。

(これ、初めて書いた)

 

でも、そういう一つ一つと向き合ううちに、ちょっとずつ自分の力を思い出していけたように思う。

 

“Happyちゃんの舞台だから売れる”という意識

そして最後に一番大きかったのは、チケットが1日で完売せず、Happyさんが渇入れたとき。

この話は詳しく「直前稽古2,3日目」に書いたけれど、Happyさんにこう言われた。

みんなまだまだHappyちゃんにおんぶに抱っこされている。
 
日本を代表する企業の社長が、“普通のコミュニティは一人のカリスマがいて、みんなその下についている。でもここは違う。メンバーそれぞれの個が立っている。ここに日本の未来を感じる”と言って、HTLに入ってくれた。
 
ここにいる30人はそのHTLの精鋭部隊だと思っている。
 
なのにその30人が、“Happyちゃんの舞台だから売れる”という意識のままでいいんですか?
 
“私”が世界の中心にいなくていいんですか?
Happyちゃんの世界の一部でいいんですか?
 
その意識は舞台に立ったときも現れてしまうよ。

「作・演出」というすごい大事なところ任せてもらいながら、本当に“Happyちゃんの舞台だから売れる”という意識でいた。当たり前のように。

それに気づいたとき、衝撃だったな。

 

自分が25年つまづいていたのも、その意識のせいだったんだとも、あとで気づいた。

今まで小説書いたら賞に送っていたのは、「〇〇賞受賞という肩書がつけば、私の作品も売れるでしょう」という意識でだった。

逆に言うと、「〇〇賞」という賞なしでは、私の作品など評価されません、という意識だったというわけだ。

 

このときの記事(元々はインスタ投稿)に書いた下の言葉を読み返すと、今も肚に力を感じる。

私は夏パキラの後は、
HTLのメンバーとも一緒に
何か作って遊びたいと思うけれど、
 
それ以外にHTL外で、
Happyさんの力に頼らず、
自分の文章力で、
一流の世界を産み出したいと思っている。
 
私の創り出す世界に
共感してくれるスポンサーや
プロデューサー、演出家を
産み出し、
妥協のない一流の表現を創る。
 
 
そして3年後とか5年後、
Happyさんを圧倒するくらいの
存在になって、
本当の意味で、ちゃんと隣に立ちたい。

この気持ちは今も変わらない。

  

0番の意識

小屋入りしてからは、アップを舞台上でするようになり、役者でない私も舞台に立つことが多かったから、チャンスがあると「0番」と呼ばれる、舞台中央真ん中の印のところに立って、劇場全部を自分のなかに感じたりしていた。

そのときは、本当に肚の力を感じたな。

 

「これからこの何十倍も大きな舞台に何度も立つことになる」

そんな予言めいた言葉も聴いたりして。

(舞台に立つというのは、役者としてではなく、授賞式的なもののイメージだけど)

 

この0番の感覚は、今もものすごく大切にしている。

ここで感じた肚の力こそ、現実創造の力でもあると思うから。

 

おまけ:パキラ後

と、ここまでが「パキラ」を通して自分が得たと思った3つ。

ここからはちょっとおまけだけど、パキラ後の数か月について、ちょっと書いておく。

 

インスタでもサイトでも全然シェアしていなかったけれど、パキラが終わってからの数か月は自分の中で「大混乱期」だった。

 

それまで10年くらい、家族と限られた仕事上のメンバーとだけ会って、あとは一人時間を過ごしていた「基本引きこもり」状態だったから、急に人との関りが増えて、アップアップしてしまった💦

 

人と会う機会が少なかったから、服とか常に適当だったし(笑)、

「私じゃなくて、作品を見て」というタイプで、インスタに自分の写真を載せることさえしないような感じだったから、

急に人との関りが増え、写真とかたくさん撮るようになり……「あれ……私の見た目、なんかやばくない?」と急に思っちゃったり(笑)

(パキラ中は、色々なことがあって、そんなことを気にする余裕もなかったのだろう)

 

あとは、周りが役者とかダンサーとか「自分を使って表現する」というタイプの人ばかりになり、「自分は引っ込んで、作品で表現する」タイプの私は、多分混乱したのだろう💦

私には〇〇もできない、△△もできない……と、すごい自己否定の渦に巻き込まれたりしていた。

あれはびっくりだったな。

 

HTL入るまでエゴキンマンがうるさい系の人間ではあったけれど、そこまで自己否定が強いタイプではなかったと思う。

あそこまで自分はダメだと思ったのは、久しぶりだった。

 

結局それで、去年の11月くらいから、また山の行に戻り、今に至る(笑)

今は、どうしたらもっと自分の小説が良くなるか、そこと向き合うのが楽しいので、「退屈」とかは全然ないから、いいかな。

でもまた11月くらいから里の行に出るかも。

なんとなく11月頃次の大きな動きが来るという予感もするので。

というのが、近況。

 

最後に

最後に書きたいことは、

本当に本当に、ありがとう! ということ。

本当に本当に貴重な体験で、自分の人生の大きな転機になりました! ということ。

 

Happyさん、素敵な機会を本当にありがとうございました。

そして役者やダンサー、演技指導、衣装など関わってくれたHTL仲間のみんなも、本当に本当にありがとう。

「パキラ」中のバタバタで失礼な対応を取ってしまったことや、「パキラ」後の混乱期に嫌な思いをさせてしまった人もいるかもしれないけれど、1年経って、本当にみんなが大好きです。

 

このサイトを見ることはないと思うけれど、プロデューサーの高原さん、制作の前田さん、振付のcenさん、音楽の山田さん、音響・照明・映像・舞台美術・舞台スタッフの皆さんにも改めて感謝を。

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