過去Diary

手に入れたいものを求める過程

 水槽の中に、一匹、大きな魚を入れる。そして、その魚の餌になるような小さな魚を入れる。でも、その2匹の魚はガラスで実は隔てられている。大きな魚は、その小さな魚を食べたくて、何度も近寄っては、ガラスにぶつかる。それを何度も繰り返したあと、ガラスを取り除く。小さな魚は、大きな魚に触れるぐらいまで近寄る。でも、大きな魚はもう、その小さな魚を食べようとはしない。そして、最後には飢えて死んでしまう・・・・・・・

 手に入れたい、と強く願うものに限って、手に入れるのは本当に難しい。そして、人は何度も失意を味わう。その結果、手に入れたいと思うものを、手に入れたい、と強く願うことを、いつの間にか辞めてしまっている。それは、多くの場合、無意識のうちに行われていて、自分は本当はそんな物は欲しくはないんだ、そんな気持ちになってしまっていることも多いのだと思う。

 幸せって何だろう。多分、本当の幸せなんて、世の中に「これが幸せだ」と存在なんてしていないし、もしかしたら、誰も一生かかっても手に入れられないものなのかもしれない。人は贅沢だから、一つものを手に入れると、すぐ次が欲しくなって、始めに手に入れたもののために喜ぶ時間は実はあまりない。それはきっと、仕方のないこと。

 そんなことを考えながら、手に入りそうもないものを強く求め、苦しみながら、ふと思う。幸せって、手に入れたいものを求めるその過程、その時間のことかもしれない。…それは苦難に満ちているかもしれない。往々にして満ちているものだ。でも、それを幸せだと感じられる人だけが、きっと幸せなのだ。

 餌を目の前にして、飢え死ぬ魚にだけはなりたくない。…いつも考えていること。

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