過去Diary

葉桜

 春。4月。新しいことが始まるとき。
 ちょうど今は桜が満開。綺麗な季節だな、と思う。
 私はそして、社会人として、新しい一歩を踏み出した。
 
 一番好きな花は、紫陽花だけれど、やっぱり桜も捨てがたい。桜を見ると、フレッシュな気持ちになれる。

 会社の内部報に、自己紹介を書いた。「好きな言葉」という欄があって、そこには普通、慣用句のようなものを入れるのだとは思ったけれど、思わず、ちょっと変わったことを書きたくて、「葉桜」と書いた。高校時代、一時期ペンネームにもしていた言葉。

 今日、桜を見たら、もう先の方は花が咲き終わって、少しだけ若葉がのぞいていた。これから「葉桜」になる。

 桜は花を散らせてから、葉が茂る。それは常識だけれど、よく考えるとおもしろい。他の花は、まず葉を茂らせてから、それを基盤とするように、花を付けるのに、桜だけは逆だ。だからわざわざ「葉桜」なんて言葉がある。「葉チューリップ」「葉水仙」なんて言葉はない。桜だけ、何だか「春」を先取りしてしまったような感じ。基盤もないくせに、華やかさだけ求めて、さっさと花を咲かせてしまうような……。

 よく考えると、人間もそうかな、なんて思ったりして。若い頃は、ただその若いエネルギーと、若いが故の美しさだけで突っ走ってしまえばいい。でも、花を枯らしたとき、きちんと生き残るためには、もう花がなくても、葉を茂らせなくてはいけない。もう、はなやかさへの憧れだけじゃ生きていけなくなる。

 そんな生き方もいいんじゃないかな。それでいいんじゃないかな。

 これから葉を茂らせて、光合成をして、 自立しようかな、なんて思ったりして。

 大切なのは、花を全て散らしてしまっても、その悲しさに負けずに、たくましく葉を茂らせていくこと。桜のそんないじらしさが見えるようで、「葉桜」という言葉が好きだ。

 そう、きっと今の私は、今日見た桜のように、先っぽだけちょっと葉になった感じ。花が散る前に、きちんと基盤を固めたいな、と思う。

 高2に頃書いた短い、詩の習作を見つけた。

「その日桜がいっせいに散った。
 たくさんの花びらがひらひらと泳いでいる情景が
 私の心に重なり、少し染みた。
 風にそよぎ、かさかさと枝のなる音。
 私の中の何かと響きあった。
 花びらの淡いピンクは幼い少女の色。
 最後の数枚を残し消えていく。」

 別に社会人になった今だけではなくて、何かを少し失った気がして、そして成長するとき、いつもその人は「葉桜」なのかもしれない。

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