過去Diary

戻らなくてもいい

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 新しい一年が始まった。この年がいい年になればいい。
 
 久しぶりの日記になってしまったけれど、その間に京都に旅をしたり、冬期講習で奔走したり、初詣に行ったりした。あっという間に終わってしまったような一年だったけれど、ずーっと昔から働いている気もするし、去年は不思議なくらい、しっかりと閉じていった年だったと思う。閉じていった、といっても、上手く伝わらないかもしれないけれど、結局去年あった出来事が、本当に戻らない過去になったのだなということを強く感じ、それら全てに感謝できるような年の終わり方だったということ。

 冬期講習で4年生に教えていた文章で、私の心を打ったものがあったので、それを今日は紹介したい。筆者は、絵つきの詩で有名な星野富廣さん。
 
 ご存じの方も多いと思うけれど、星野さんはむかし体育の教師だったのだけれど、ばくてんかなにかを生徒に見せようとして失敗して、首から下が動かない状態になってしまった。でも星野さんは、それでも自分にもできることが残っているはずだと、口で絵と文字を書くことを覚え、綺麗な絵と詩を書かれている。

 私が今回読んだのは散文だけれど、内容は川で幼い頃流された話。流されて始めは、必死に始めにいた浅い場所に戻ろうともがいて、流れに逆らって泳いでいたけれど、ふとその時思ったのは、浅い場所はそこだけではないはずだ。このまま流されていってもまた浅い場所に着くはずだということだった。そう考え、流れに流されて泳いでいくと、本当に足の着く場所に着いた。
 
 星野さんはその経験を怪我をしたときに思い出したという。

『何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか……流されている私に、今できる一番良いことをすればいいんだ』 その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつ薄れていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、歯を食いしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから、教えられながら生活しようという気持ちになったのである。

 最後は聖書の言葉で締められている。
 
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神はむしろ、耐えることのできるように、試練と共に、脱出の道も備えて下さいます」(コリント人への手紙 第一 10章13節)

 一年が終わったとき、戻れない時間を感じたりもするけれど、本当は常に今は過去になっている。その中で、意識しないでも人は変わるし、周りの状況も変わる。時々は、昔の自分や、昔の状況を懐かしみ、そこに戻りたくなったりすることもある。なにかを取り戻そうとして、あがいたりもする。でも本当はそれら全ては、綺麗に、するすると私の周りを流れ去っていったもの。そういうものに、いつまでもとらわれるのはばからしいよね。流れていく景色、流れ着いた新しい場所に、何か素敵なものを見つけていきたい。

 新しい、良い一年を。

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