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短編を膨らませた映画はいい
田辺聖子さんの同名の小説の映画化ということで、本を読んでからこのレビューも書こうと思ったのだけれど、近場に売っていなくて、まだ読めていない。
ただ、映画館の中に見本として置いて本をぱらぱら見たら、30ページほどの掌編小説で、これがあんな映画になるのかと驚いた。
そして、その場でざっと20ページほど読んだだけなのだけれど、この映画は、多分原作を超えていると感じた。
原作を超えた映画というのは、やはり短い小説の世界を広げていったものなのかもしれない。
長い原作を映画にしてしまうと、「模倣犯」のような、はっきりいって「駄作」ができあがる。
変わっているところと普遍的なところ
この映画の内容は、一言でまとめると、足に障害があり歩けない女性(ジョゼ・池脇千鶴)と、偶然その女性に出会った大学生(恒夫・妻夫木聡)の話、となる。
始め、祖母は、障害を持った孫を隠そうと、早朝彼女を乳母車に乗せ、隠すように散歩させている。そしてその「怪しい」出で立ちから、近場の雀荘の常連たちはその噂をし、乳母車の中身を探ろうと襲いかかる人までいる。
という、ちょっと「変わった」ところから始まる。でも、次第に、ストーリーの流れは、ジョゼと恒夫の心の交流という、ある意味「普遍的」なものへ移っていく。
その、「変わっている」と「普遍的」のバランスは案外フィクションの世界では大切なのだなということを学んだ。
監督の力なのか、田辺さんの力なのか分からないが、ただ奇をてらっただけではなく、「そういうこともあるかもしれない」と思わせるレベルで「変わっている」設定なり描写は、とても惹かれるなぁ。
しかもこの映画は、脇を固める人が、「なぜここまで」というほど濃いメンバーで、それもかなりツボにはまった。こういうおもしろさ、結構好き。
二人の関係の危うさ
「普遍的」なストーリーの部分での感想を言うと……。
以前ボランティアをしたとき、「(障害者の方には)『気をつけよう 甘い言葉と ボランティア』という言葉があるくらいなんですよ」ということを言われたことがある。
障害者には、限られた世界しかないことが多いが、ボランティアの人には、他に世界がある。だから、そっちの都合や気分ですぐにいなくなってしまうことがある。
だからボランティアに深入りしてはいけない。そして、ボランティアの方も、安易に優しくしすぎてはいけない……そういう意味だった。
恒夫は決して悪い人ではないのだけれど、見ていて二人の関係は危なっかしい。だからかもしれない、私は以前教わったその標語を思い出した。
ラストは賛否両論あるかもしれない。ここではネタばらしになってしまうかもしれないので、敢えて書かないが、私はラストはこれ以外ないだろうと思った。小説は違う終わり方をするらしいのだけれど。