アイルランドに実際にあったマグダレン修道院の実体を描いた映画。
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非常に古い考え方に基づいた施設
もともとは貧しい娼婦を保護する施設として作られたその修道院は、実際には、未婚の母や、親戚にレイプされた女性など、厳戒なカトリック世界では「身内の恥になる」と考えられる女性たちが「閉じこめられていた」。
彼女たちは、シスターにより、厳しく管理され、一切の私語を禁止され、外の世界とは隔離されて生きるしかない。
まるで、殺人を犯した囚人並の扱いを受けている。
非常に古い考え方に基づいた施設だと思うが、この映画の中の出来事は、1964年から数年間の出来事らしい。
そして、この修道院は1996年まで実在したという。7年前など、「ほんのちょっと前」だ。
この映画の中の「シスター」の行いを見ていると、宗教を盾にした人は、明らかに間違っていることも宗教の力によって正当化できるのだと、恐ろしくなる。
まぁ、もちろん、宗教を持っている人全員が悪いわけではないし、宗教の弊害は、イスラエルあたりの現在の混乱を見ていれば分かることなのだけれど。
本気で伝えたいという想い
この映画は、正直、憂鬱になるほど暗く、悲惨なシーンの連続だった。途中、「もう、いいよ」と思ってしまったりもした。(私はどうも、暗い話というのが苦手だ。)
ただ最後に、施設に入れられた女性三人のその後が字幕で表示されるのだけれど、それを見ていたら、あぁ、本当にこんな目にあった人たちがいたのだと、強く実感され、目が潤んだ。
そして、作品の善し悪しは、決して「おもしろさ」では決まらないなと思った。
映画というのは、小説などに比べても、作るのに何倍も、何十倍も時間と労力とお金がいる。それでも、こんなただひたすら重い映画を作ろうとした人がいた。この映画に時間を捧げた人がいた。
その人はきっと、この問題を本気で伝えたかったのだろう。そう感じられたとき、「あぁ、観て良かった」と思った。
良い作品というのは、伝える力のある作品かもしれない。
私自身は最近、「何を書くか」より「どう書くか」に心が向いている。伝えたいことがあるから書くというより、書く力を磨きたくてとにかく書いている気がする。
でも、表現の基本って、「伝えたい」という切実な気持ちなんだよな、ということを強く思った。
「誰でも人生に一作は傑作を書ける。でも二作目を書けるかどうかが作家の力だ」とか、「書きたいことが尽きてからが本当の作家の実力だ」などと言う。
私はその言葉も信じているのだけれど、それでもやはり、原点に戻り「伝えたいこと」について考えてみたくなった。