映画(さ行)

「死ぬまでにしたい10のこと」

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 去年の秋ぐらいの映画ですが、見ました。今日は誕生日だったので、なんとなくこういう題の映画を見たら初心に返ってまた一年頑張れるのではないかなどと安易に思い……(笑)

 ただ想像していた感じとはちょっと違った。「死」の実感があまり伝わってこなかったからかもしれないし、全体的に淡々としすぎていたからかもしれない。
 
 主人公は余命2ヶ月。夫と6歳・4歳になる娘がいる。母親の所有する家の庭にトレーラーハウスを置き、そこで暮らしている。父親は刑務所に入っていてしばらく会っていない。そういう設定でアンは死ぬまでにしたいことを10決めて、実行していく。

 「娘に毎日愛しているという」「娘が18歳になるまでの誕生日のメッセージを用意しておく」「刑務所にいる父に会いに行く」などは、うん、そうだよねーと思える。でも、娘をすごくかわいがっていて、旦那さんもすごいいい人そうなのに(多分経済能力はあまりないのだろうけれど)、「他の人とセックスする」「男の人を夢中にさせる」ということを10の中に入れ、それを実行してしまうのはどうしてなのだろうか。もっと旦那さんとの関係が冷めていたら、人に必要とされたいと思うのも分かるのだけれど、うーん、その部分が分かるようで分からなかった。

 でもこれを単純に主人公の願望と捉えるから分からなくなるのだろうか。他に「娘たちのよい母親になってくれる人を捜す」という項があるのだけれど、旦那さんに新しい奥さんを見つけるために、自分の気持ちをわざと離すことが必要だったという見方がいいのかな。

 ただ人の感情は本当はすごく多面的で、常に揺れ動いているから、これはこれでリアリティがあるのかもしれない。子供をかわいいと思う日もあれば、うっとうしく思う日もある……それくらいなのかもしれない。

 もしあと少しの命だったらという話はかなりありがちなのだけれど、やはりこういう話は必要じゃないかなと思う。人はなぜか終わりの感じられるものにしかなかなか価値を見いだせないから。こういう作品を見て、「もし自分があともう少しだけの命だったら」と身の回りを見返してみるとき、いつものなんでもないことが、ちょっとだけ素敵に見える。

 時々、何もない日常に嫌気がさしたと自殺したり、殺人を犯したりする人がいて、そういう人の気持ちも分からなくはないのだけれど、でもやっぱり、日常の価値、なんでもないことのように思える幸せの価値を忘れたら人は終わりだと思う。人はいずれ死ぬのだから、自らそれを早める必要はない。

 そう言えば以前、討論系のテレビに、三十歳くらいまでしか生きられないと宣告されている二十代後半の女性が出ていた。でもその人を前にしながら、女子高生が「私は若い内に死にたいと思っている」と平気な顔で言った。その無神経さに驚いた。
 
 ただそこで、kinkikidsの堂本光一くんが「それは幸せぼけしているんだよ」と一言切って捨てるように言った(彼は若いけれど言葉に重みがあって好き)。思わず拍手したくなった。
 
 そしてそれ以来、自分が日常生活において、ふっと「もう嫌だ」というマイナスの感情にとりつかれたとき、それは幸せぼけなんじゃないかと自分に問うようになった。ちょっとしたことだけれど、大切な問いかけ。

 私はあと数ヶ月の命だと言われたらどうするかな。その時思いつくことが、「日常」に近いものであればあるだけ、「今」を幸せに感じられているということかもしれない。

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