映画(あ行)

「アイ・アム・サム」

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 気の合う友人と三人で映画に行った。そして映画を見て考えたことと、その後、三人で話したことがなんとなく重なった気がしたので、ちょっと書きたくなった。
 
 映画のテーマは、家族の愛について。知恵遅れの父親が一人で娘を育てられるかというストーリーで、裁判で争ったり、重いのだけれど、父親と娘がただとても純粋にお互いの存在を必要としていて、その姿の描き出し方が良かった。物事は案外、単純なのに、なぜか時々、必要ないほど複雑になってしまう。

 その父・娘のストーリーと平行して、知恵遅れの父親(主人公)と、弁護士の女性の関わり合いがある。全てがのんびりとしている主人公と、気が短く、いつもあくせくしている女性の対比や、次第に主人公のペースに引き込まれていく様が、ありきたりといえばそうなのだけれど、生きていく上で大切な人との出会い、みたいなものについて考えさせられたりした。本当に出会うべき人とは、一見「偶然」に見える形であっても出会っていくのだろう、と。(そのことを、小林秀雄は「命の力によって、偶然を必然と観じる」というように書いている。この言葉は好きだ)

 私はクリスチャンではないけれど、運命だとか、全能の力を信じたりはしている。どんなつらいことが起こっても、それは自分に必要だから起こったことなのではないかと、考えたりするし、本当に耐えられないぐらい苦しいことが起こった時には、必ず助けはくるとも信じている。

 ただ、人との出会いも、そういう与えられたものだよね、ということを、偶然のように親しくなった友人達と話していたら、一人の友人が「機会は与えられても、それを手に入れられるかは、働きかけとか、努力によってだと思う」と言った。それを聞いて、あー、そういう考えって、もっといいなと思った。

 まだ自分の周りにも、本当は与えられた価値あるものであるのに、その大切さに気づけていないものが転がっているかもしれない。そう思って、もうちょっと真剣に、周りを見回してみようかと思った。

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