映画(ま行)

「モンスター」

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 壮絶な作品だった。
 救いがない映画と言ってしまえばそれまでなのだけれど、心の奥に響いてくる、本当に力のある作品で、心からいい映画を見たなぁという気分になれた。

 悲しいとかかわいそうとか、ひどいとか、つらいとか、いろいろな感情が言葉になりそうで、でも何も言葉にならず、呆然としてしまった。
 本当にいい作品というのは、一言でまとめられることを拒むものなのかもしれない。

 これは実在した連続殺人犯であるアイリーンの生涯を映画化したもの。アイリーンはヒッチハイクをして体を売り、それで生計を立てる娼婦。幼い頃から家庭の環境に恵まれず、十三歳からその生活をしていたアイリーンにとって、身を売ることは当たり前の生活だった。

 でも男に捨てられ、自殺を考えているとき、同性愛者のセルビーという少女に出会う。アイリーン自身は同性愛者ではないが、セルビーの存在に愛おしさや安らぎを感じ始め、彼女のために生きていこうと決める。

 でもその矢先、アイリーンは誘った男に激しい暴力をふるわれ、殺されそうになる。アイリーンは自分を待っているセルビーのことを考え、咄嗟に側にあった拳銃で男を撃ち殺す。

 その後、アイリーンを頼るセルビーを連れ、二人で逃避行の生活に入るが、アイリーンには結局、身を売って稼ぐしか、生活していく手段がない。

 彼女は、相手の男を殺し、車と金を奪うことで、必死に生活を守ろうとする。

 というような話。

 一度目の殺人は正当防衛が認められそうなものなのだけれど、彼女の生活はそこから、いや、もしかしたらセルビーとの出会いから、ただ破局に向かって転がり落ちていく。

 そして最後は事実と同様に、アイリーンは逮捕され、死刑に処される。

 どう考えてもストーリーに救いはない。

 でも、真実の持つ重さがそこにはあって、きれい事ではないこの世の中の姿をしっかりと私たちに見せてくれているような気がした。

 アイリーンは途中でこう言う。「私にはこれしか選択肢がなかったのよ」と。
そして最後に吐き捨てるように口にする。「努力次第でどうにでもなるなんて、誰が言った? くそくらえだ」

 その言葉は重い。

 ただ家庭環境に恵まれず、子供の頃から自分でお金を稼ぐしかなかった。満足な教育も受けさせてもらえなかった……それだけで人は多くの「選択肢」を失う。

 学歴は関係ないと言い始めた世の中だって、彼女と東大出の人間を平等に扱うことなんてあり得ないだろう。

 みんな平等だ、努力すればできないことはない……そんなのは、平均以上の環境で育った人間が吐ける言葉だ。

 彼女の視点から世の中を見たとき、自分自身の視野の狭さに驚いた。

 この映画を見て思ったことは、まず、生まれ育った環境は人の多くの部分を決定するということ、それから、どういう人間に出会えるかがそれ以外の部分を決定する、ということ。

 アイリーンが殺した男性の中には、本当にいい人もいた。でも、その人と出会ったとき、彼女はもう、どうにも引き返せないところまで来てしまっていた。
もしその人と、もっと早く出会えていたらと思うと、本当にやりきれない。

 何人もの人間を殺した人に同情したり、共感するべきではないのかもしれない。

 でもこの映画を見ると、アイリーンは、人を殺したという以外は、本当に人間らしい心を持った人なのだと思った。真っ直ぐで純真で、だからこそ不器用で上手く世の中を生きられなかった人。

 美しくはないし、相当下品な感じはするし、賢くはない。でも、その姿はかっこいいとすら思えてしまった。

 アイリーン役のシャーリーズ・セロンは、この役のために十三キロも太り、実際のアイリーンに似せる特殊メイクを施していた。
 その役者魂にも打たれる。映画の印象と、彼女の他の写真を比べると同一人物とは思えない。

 あの大股での格好の悪い歩き方、下品なたばこの吸い方、醜くついた贅肉とか……うーん、すべてが映画のリアリティを醸し出しているのだけれど、それらすべてが努力して作られたフィクションであるということがすごい。

 いい作品というのは、色々な人の熱意のようなものによって作られるものなのだなぁとしみじみ思った。

 もう、本当……完璧な映画でした。

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