「すごいなぁ」と正直に思ったり、「なるほど、こういう人がああいう本を書くのか」と発見したり、たまには「こういう考え方をするなんて不快だ」と感じたり……いい意味で色々刺激を受けられた本だった。
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どの視点を選択して書くか
気になった文章や内容はたくさんあったけれど、一番私の心に残ったのは、以下の部分。
文章の技術で言えば、全く同じ内容、同じ一日、同じできごとを……たとえば「今日はディズニーランドへ行きました」というのを、「とても楽しかったバージョン」「人生の喜びを抽象的に表すバージョン」「最悪、自殺寸前バージョン」「冴えないバージョン」「平凡バージョン」どれで書けと依頼されても、嘘を書くこともなく、実際にあったことだけのデータですらすら書ける。
それは、作家なら誰でもそうだと思う。やれといわれれば、それくらい技術、プロならみんなあるだろう。
誰が、どの視点を誠意を持って選んでそれを好きこのんで描くか、それだけが違いとか個性とか言われるものなのだと思う。
そういう意味では、真実などこの世にはないのだと思う。ただ、どの書き方でも掘り下げれば、何かしら真摯なものが生じる。それを、作家たちは目指しているのだろう。
あぁ、そうだよなぁ、と思った。世の中のストーリーは書き尽くされていると思うけれど、それでも文学まだまだ消滅しない、絶対。それは、やはり一人一人の視点とか思想があってこそなのだと、改めて思う。この部分の文章は好き。
この部分は嫌い
ただ、ばななさんは、こういうことを書きながら、自分がHP(この本はばななさんのHPの文章をそのまま本にしたものらしい)に、つらいとか苦しいとか書かないのは、つらかったり苦しかったりしていないからではなく、そういうことが伝わらないように書いているだけだということを伝えている。
そして「日記を見ると毎日とても楽しそうに見えて、とても地獄とは思えない、という素直でいい感じの質問があった。そうか、やっぱりものごとを額面どおり取ってくれる人っているんだな(略)と、いい意味で感心した」と続けている。
まぁ、「いい意味で」感心しているのだから、いいんだけど、ばななさんのこういう書き方を私は嫌いだと思った。
だって、つらいとか苦しいとか伝えないように「日記」を書いているんだったら、その視点で書いたものとして責任を持たないといけないでしょ? 他の部分で、「本当はつらい、苦しい」って白状したら、ばななさんの言う、「真摯さ」はなくなってしまう。
書いたからには書いたものに責任を負う、そのことの大変さと大切さについて考えてしまった。
あ、でも、最後にフォローするけれど、この本は読んで損はないものだった。