前回に引き続き、大学時代の演劇の話。
劇研の稽古は本当に厳しかった。
新人稽古は週に3回あり、1回5時間くらいだっただろうか。
3キロほどランニングした後、大隈講堂前で筋トレと発声練習。
そのあと「アトリエ」という名前の暗い倉庫みたいな場所に閉じ込められて(笑)の稽古。
本当は上部に開閉式の窓があり、光は届いていたのだけれど、思い出すアトリエはいつも暗く、裸電球の強い光に照らされている。
新人はアトリエ内で裸足で稽古をし、たまに「舞台」として使われているパレットに飛び出している釘で足を傷つけたりした。
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新人稽古
4月に入った新人は、8月の新人公演まで残れると晴れて希望する劇団の所属になり、正式な劇団員になる。
つまり8月の公演までは劇団員ではない。
そして、8月まで新人に役はない。もちろん、台詞もない。
新人稽古はひたすら「無」になることを目指すものらしかった。
自分を無にできる人が、どんな役でも受け入れられる良い役者なのだ、という理論。
外で身体訓練をしたあと、アトリエ内でもひたすら身体トレーニングを行う。
多分これも、体を思うように動かせるようになる訓練でもあり、体を極限まで使うことで、頭を空っぽにすることができるという理論なのだろう。
覚えているのは、マリオネットと「たる・えだ」という稽古。
マリオネットはまだ理にかなっている。
自分が操り人形になった感じで、上半身をだらんとさせたところから、背骨を一つ一つ立て、そのあと腕、肘、手首と力を入れていく。
体に意識的に力を入れ、思うように動かせるようになる訓練。
でも「たる・えだ」は謎の稽古。
舞台の上で新人は障害物競走をしているような演技(?)をする。
足踏み状態で走り、先輩が「たる」と言うと飛び、「えだ」と言うとしゃがむ。
先輩は身体的暴力は振るわないけれど、紙を丸めて作った棒で力いっぱい近くの椅子などを叩き、「たる」「えだ」と叫んでいた。
冷静な人が覗いたら、多分、狂気の渦巻く世界にしか見えなかったと思う(笑)
実際、そういう身体トレーニングをした後には、
どれくらい狂った状態で(ハイテンションで)パフォーマンスできるかが問われた。
一人ひとり舞台の前に出ていき、一発芸のようなものを披露し、先輩のOKが出ると、舞台から降りられる。
面白さは問われない。
ただどれだけ狂気の沙汰になれるか、理性や羞恥心や様々な思考を捨て、今に狂えるかを先輩は見ていた。
でも私はずっと舞台上に残され、先輩に怒鳴られ、心が折れた。
動の瞑想
社会人になってからヨガを習ったとき、インド帰りの先生が言っていた。
「ヨガの神髄は、瞑想状態に入ること。
体を動かすのは、その瞑想状態を引き出すきっかけに過ぎない」
そしてそのヨガの教室では、最後に仰向けになって寝ころぶ時間を一番大事にしていた。
結局、今になって思うのは、劇研が目指していたのは、そういう「無」の境地。
確かに今も思う。
いい役者になるためには、いったんすべてを捨てる過程が必要だと。
役者だけでなく、小説を書くにも、絵を描くにも、本当に良い表現をしたいなら、何かに自分を明け渡すことが多少なりとも必要だ。
でも、そういう無の境地とか、瞑想状態に入るツールには色々あって、それは選べるんじゃないかな、と今は思う。
良い役者
私は結局、劇研を3か月くらいで辞め、そのあと「もっと柔軟な組織がいい」と旗揚げ公演の準備をしている劇団に入り、その半年後くらいに自分の好きなテイストの演劇を作っている小さな劇団に移った。
劇研をやめたあとも1年半くらいは芝居を続けた。
そして、最後の劇団では、私は良い役者だったと思う。
ずっと劇研で言われた「お前には舞台に立つ資格がない」という言葉が頭の中を巡り、自分には才能がないと思い込んでいたけれど、違う。
なぜなら、最後にいた劇団で、私は舞台に立っているとき、明らかにソースとつながっていた。
お客さんの存在すら忘れ、私は深く自分と、役とつながっていた。
今もその感覚を思い出せる。
演劇にまつわる過去は、ずっと封印していた。半分無意識に。
それがパキラの脚本を書いてから、25年くらいの時間も超えて、一気に蘇ってきた。
そして、今なら、当時の自分さえ、すべて肯定的に捉えられると知った。
私は良い役者だった。
そう思えたら、舞台に立つのは怖くなくなった。
でも不思議と、舞台に立ちたいという気持ちもなくなっているような気がした。
いつかその想いが湧き上がってくることもあるのかもしれない。
でも今の私は、もっと意識的に、もっと様々な方法でソースとつながる方法を知っている。