少し前に書いた「長く「Well being」に留まるためにすべきこと4選」の続き。
「Well being最強説」のスライド2枚目は、これだった。
このピンク色のぬいぐるみ、分かるかな?
答えは……
「ポケットモンスター」に出てくる伝説ポケモン「ミュウ」。
ラインのプロフィール画像もこの写真だから、ラインでやり取りしている人には「ミュウ=凪さん」というイメージが大分ついてきたらしい(笑)
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話は2020年に遡る
なんでミュウなの?というのが、気になるところだと思うけれど、その説明をするには、2020年の夏に話をさかのぼらないといけない。
当時、HTL界隈は「シンデレラプロジェクト」一色で、
「モデルになってランウェイ歩きたい♪」
「大きな舞台でダンス(や歌など自分が得意なもの)を披露したい♪」
みたいな人たちがうわぁとなり、盛り上がっていた。
KEITA MARUYAMAデザインのドレスを着て歩く10人くらいのモデル役には、1000人近い応募があったとか、残念ながら選考に漏れた人には「おうちでランウェイ」という名称で、インスタのコラボ配信でモデル姿を見せられるチャンスを与える、みたいな話もあり、
みんなが「挑戦、挑戦!」みたいなムードだった。
そのころ私はまだ、今ほど自分の軸が立っていなかったから、
「え? HTLの半分近い人が挑戦しているのに、私だけ何もしなくていいの?!」
みたいな漠とした不安を感じていた。
そのころはHTLも2期になり、配信内容も「とにかくほっとリラックス」みたいな話から、「次は現実創造だ!」みたいなノリに変わっていて、なんかちょっとついていけないなぁ……とも。
無理しない
そのときの私には2つの選択肢があった。
「”みんな”の輪に入るために、むちゃくちゃ頑張って、“挑戦”する」
「“みんな”から距離を取る」
当時私はHTLに友達も誰もいなかったから、“みんな”ってそもそも誰?と、よくわからないのだけれど、こういうときって、”みんなはこう。私は違う”みたいに思いがち。
私もまんまとその罠にはまっていた。
でも、モデルに応募するとか、ドレスを着てランウェイを歩くとか、全然ときめかない。
ときめかないのに“挑戦”だけするって、意味が分からない。
と冷静になり、とりあえず「距離を置く」ことを選んだ。HTLから。
で、ミュウに戻る
で、とにかく“挑戦しているみんな”を見るとざわざわするので、HTLの瞑想系以外の配信は聞かないことにした。
そして、私は私、と割り切ることにした。
そのとき「じゃあ、私の理想の私ってどうなることなの?」と考え、出てきたのがミュウだった。
ミュウは伝説ポケモンで、滅多に人前に姿を現さない。
だからミュウを見ると「うわぁ、ミュウだ」とみんなうれしくなる。
でも、見つけられるとすぐにふわぁと飛び去ってしまう。もちろん誰にもゲットされない。
このレアさでいこう! と思ったわけ(笑)
それで、“みんなと同じようにもっと露出しなきゃ”とか、”リアルにみんなに会って、仲間を増やさなきゃ”とか余計なことを考えて気分悪くならないように、この写真に写っている「等身大ミュウ」のぬいぐるみを買い、「私の目指すところはミュウ」とぶれないようにした(笑)
この選択は大きかった
この話、ちょっとした不快感と小さな選択の話。
でも、ここで「私は私の道を行く」と選択した数週間後くらいに、「パキラ」の脚本募集の話があった。
上にも書いたように、当時HTLの配信から距離を取っていたから、パキラの話が最初に出たときの配信は聞いていなかった。
でも、上の画像のように、この時はわざわざ投稿の形になって「脚本家募集」がされていた。
小説ではなくて脚本だったから、すぐに「書くぞ!」となったわけではなかったけれど、この投稿を見た翌日、「これは書くやつだ」と思った。
それはすごく自然な流れだったのだけれど、でも、シンデレラプロジェクトに関する配信にもやもやを感じながら、何の手も打たなかったり、“とにかく挑戦しなきゃ”と自分の持ち場ではないところで挑戦という名の悪あがきをしていたら、この情報はキャッチできなかったのではないかと思う。
情報自体はキャッチできていても、「これは書くやつだ」とは思えなかったんじゃないかな、と。
だからこの時のことを振り返ると、「自分の持ち場」をちゃんと把握して、そのなかで挑戦することが大事だなと思う。
やみくもに動けばいいわけじゃない。
あくまでWell beingのなかで挑戦する
ということで、ミュウの写真のスライドの次は、こんなスライドにした。
★体が強張るほどの「挑戦」はいらない。
→ コンフォートゾーンは出ない。広げる。
★Well beingでいたら、現実は動き出す。
→ 怖いチャレンジをしなくても、必要な時は、背中を押される。むっちゃ強く😂
体が強張るということは、それはWell beingから外れているサイン。
つまりそこは自分のコンフォートゾーンじゃないし、持ち場でもない。
だから、そこで「挑戦」したり、無理しなくていい。
以前から自分はそうやって生きてきたけれど、心の奥には「逃げてばっかりだ、私」みたいな否定があった。
でも、この「パキラ」の流れがつかめたときからは、「これでいいんだ。合っていたんだ」と思えた。
だから今は迷わず、無理をしない範囲での、心地よいチャレンジだけを日々淡々としている。
なんか大きなことしていないと、”みんな”から置いていかれるような不安を感じたりもするけれど、それもまた幻想。
意外と「待つ」時間が、動いている時間以上に自分の心を鍛えてくれたりもする。
(パキラの脚本採用が決まってから、実際に動き出すまでに半年くらい空白期間があり、“あの話はまだ生きているのだろうか”と不安になることがたくさんあった。でも、この半年も、ものすごく貴重だった。ということも、今度書きたい)
「できるだけWell beingの中にいる」
「Well being(大いなるしあわせの流れ)のすごさを信頼しきり、流れを待つ」
本当に大事なのはこの2つだけ。