小説すばる新人賞でデビューした作家の3作目の小説。
この本自体は特に賞を獲ったわけでもなさそうだけれど、「王様のブランチ」で紹介されたり、口コミで話題になり、重版を重ねているとか。
そういう広がり方も憧れるなぁ。
(テレビに出たい願望はないのだけれど、「王様のブランチ」のブックレビューコーナーには出たいと思う)
Contents
スパイ×音楽 小説
この本の売り文句は「スパイ×音楽」小説らしい。
音楽の著作権を管理する会社で働いている主人公が、音楽教室にスパイとして2年間通い……そして!
というのがこの本の大きなストーリーの軸。
丁度今日、
「音楽教室の著作権訴訟「生徒の演奏は徴収できず」最高裁が初判断」
という速報がLINE NEWSで流れて、あまりにタイムリーでびっくりしたけど、
この訴訟は2017年から始まったらしいから(確かに聞いたことはあったな)、もちろん予言的な小説ではないのだろう。
で、まぁ、この小説の主人公は「〇〇音楽教室では、生徒の指導にポップスをこれだけ使っている」という証拠を掴むために、会社命令でチェロの教室に通い、毎回レッスン内容を録音するという内容なのだけれど、意外とこの小説の軸はそこではないように思う。
だからこそ、この小説はいいな、と思ったし、上手いなとも思った。
主人公が世界への信頼を取り戻す物語
主人公がその「スパイ」任務に抜擢されたのは、「子供時代チェロを弾いており、上級クラスに入れるくらいの腕がありそうだから」という理由の他に、「人づきあいをほとんどしない人だから、音楽教室の人と親交を深め、スパイ活動をしづらい気持ちになるということはないだろう」という理由があった。
そして、主人公が人に心を開かない理由は、幼い頃、チェロを巡って起こった事件による心の傷があるから。
その傷のために、主人公は好きだったチェロを見るだけで今は気分が悪くなり、毎日のように悪夢にうなされ、不眠外来に通うような生活をしている。
でも、教室に通ううち、先生や、同じ先生から習う生徒仲間との繋がりができ、主人公は少しずつ世界に心を開き始める。
チェロを見ても、以前のような暗い気持ちになることもなく、夜、悪夢を見ずに寝られるようになる。
この小説は第一章・第二章と分かれているのだけれど、第一章はそういう主人公の成長ぶりが感じられ、「スパイ」だという心苦しさもあまりなく、心地よく読める。
でも二章になると、急に「2年」の終わりが近づいてくる。
主人公の葛藤が深くなり、読者も気持ちが段々重くなってくる(といっても、そこまでハードな重さではない)。
そして話は、思わぬ方向で急展開する。
ここから先はネタバレになるから書かないけれど、主人公が世界への信頼を取り戻すきっかけとなった人間関係を、主人公自身はずっと裏切り続けているという構図。
これは本当、すごいなと思う。
良い小説には2種類ある
ただ、私の個人的な意見だけれど、
良い小説には2種類あると思っていて、
1つは「このどんでん返しすごい!」「この設定すごい!」「先が気になって、一気に読んでしまった」系の良さ。
2つ目は「この世界の空気感心地よい」「この小説世界にまだしばらくいたい」と思わせる良さ。
私はこの小説を後者(2つ目)の理由で評価したいと思った。
前者の場合、「この作品は良かったけれど、他の作品は読むか分からないな」という感じだけれど、後者は「この作者の創り出す世界が好きだから、他の作品も是非読んでみたい」になる。
つまり、私はこれが「スパイ×音楽」小説だからではなく、この作家の描き出す世界が好きだから、いいなと思った。
そういう心地よい世界に浸れる良質な作品でした。
音楽教室の講師・浅葉先生のキャラクターも良かったな。
お薦め!
安壇美緒
『ラブカは静かに弓を持つ』