過去Diary

暗闇と灯り

 今日は、大崎のO美術館の「光をつかむー素材としての〈光〉の現れ」展に行ってきた。
 
 作品の数はそうないのだけれど、とても楽しめた。 特に始めにある、真っ暗闇の部屋がいい。真っ暗な部屋に入る。しばらくは目が慣れなくて、何も見えない。でも、5分とか10分とか経ってくると、微かな光が至るところに見え始める。それは豆電球のような物を直線に連ねたもので、その直線が、部屋の壁や天井に、20本ぐらいあるのだろうか、一つの光はとても弱く、目が慣れるまでは何も見えないが、慣れてくると、上品なプラネタリウムにいるような気分になる。ランダムに走る光。そして闇。そ
 
 れだけで、十分楽しめたのだけれど、どうやらその解説を読むと、その作品は、宇宙から常に地球に降りてきている、本当は目には見えない光を、感知して、その光が来たときは本当に、その豆電球に光が走るということになっているらしい。そしてその光が走ったときは、どこか遠くで一つ星が生まれた、という合図でもあるらしい。宇宙は不思議だ。どこか私の知らない場所の、私の知らない星の誕生。それにその場所で立ち会うということ。神秘的。

 世の中には、目に見えない、普通には気づけないことがたくさんある。それを気付かせる力のある芸術は、やっぱり偉大だ。でも、それと同時に思うことは、自分はなんて少しの物しか見ることができないのだろう、ということ。

 その暗い部屋に入ってすぐは、なかなか中のものが見えなかった。そして、しばらくして、目が慣れてきても、ずっと私の目の前を赤い膜のような物が覆って、光を見ることを邪魔していた。それは、前に見た物の残像。目の仕組みとして、残像があるのは当たり前だけれど、そういうとき、人間の適応力のなさにはっとしたりする。…その残像はある種の隠喩かもしれない。人はしばしば、昔のことにとらわれ、今を見ることができなくなる。

 でも、とにかく、その体験は心地よいものだった。今の世の中に本当の暗闇は存在しない、と言われる。演劇をしていた私は、暗転は本当に暗かったぞ、と言いたくなってしまうが、でも、本当の闇ではない。そして、今日味わったのも、本当の暗闇ではないのだろう。
 
 でも、そんな堅苦しいことは言わずに、一日ちょっと早めにベッドに入り、部屋を真っ暗にして、暗闇の中、思いを巡らせるのもいいかも。(寝ちゃうか・・・(笑))
 
 闇は温かい。闇は、物の輪郭をなくす。だから、多分、暗い中にいた方が、人は他の人に対して、穏やかになれる。そして、自分に素直になれる。そしてまた、光にも、温かさのある光、というものがある。魂の持つ、エネルギーのような物かな。

 今、ウイスキーのCMがすごく好きだ。始め、「嘘をつく人と、つかれる人がいる」という文字が出て、それから、男の人が女の人にお金を渡すシーンが映る。

 それから、その男の人が、友達とバーで飲んでいるシーンになる。友達がその人に、病気の子供がいるというのはお金をもらうための嘘なんだよ、というようなことを言う。そうするとその人は「良かった。病気の子供はいないんだ」という。そして、「心の深いところに灯がともった」という文字が出て終わり。
 
 こうやって生きられたらいい。騙されたとか、利用されたとか思わずに、ただ自分の立場からものを見るのではなくて、もっと広い心で、色々なものを見られたらいい。そうしたとき、温かい光はともるのか…と。

 自分の心の中に、そんな光を灯していたい。そして同時に、人を包み込める暗闇の部分も持っていたい。黒という色は、悪のイメージと結びつきやすいかもしれないけれど、真っ黒ではなくて、黒っぽい粒子の集まりであるような、暗闇。輪郭を覆い隠すためには、粒子になるしかない…のかな…。

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