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桜木紫乃『起終点駅』:「覚悟」があるものだけが、伝わる

最近、桜木紫乃さんの小説が好き。

世界観というか、小説のなかを流れる空気感が心地よい。

桜木紫乃『起終点駅 ターミナル』

 

最近読んだのは『起終点駅 ターミナル』という本で、6つの話で構成されている短編集。

どの作品も、桜木さんの故郷の北海道を舞台にしているのだけれど、「北海道」と一言でいっても、富良野とか、函館とか小樽とか、そういう明るく開けた感じや、お洒落さとは無縁の灰色の世界。

「北海道が舞台」というより「日本海側が舞台」と言った方が伝わるような灰色感。

 

その全体的に灰色の、低空飛行なトーンで物語全体も作られていて、どの作品も決して明るくも、希望に満ちてもいない。

人生のしんどい部分や暗い部分を経験したり、見たりせざるを得なかった主人公たちが、それらと折り合いをつけて、どうにか日々を進めていくといった感じのストーリー。

共通するキーワードを探すなら、「貧しさ」「孤独」「死」……など。

 

でも、なぜかこういう世界が心地よく、好んで読んで、浸ってしまう。

道尾秀介さんの『光媒の花』なども、自分にとって同じ感触の作品。

 

実生活では、日本海側には住みたくないとか、うす曇りの日が続くと気が滅入るとか言っているのに不思議なんだけど、小説は、灰色とか、ちょっとくすんだ色合いの世界が見える作品が好きなんだよなぁ。

 

「覚悟」があるものだけが、伝わる

と、そんなふうに私は、読者としては、

  • 灰色やくすんだ色合いの世界を感じられる作品が好き
  • あまり前向きすぎる作品は嘘くさくて、嫌い
  • 特にできすぎたハッピーエンドの作品は嫌だ

と思っているのに、

 

自分が作品を書くときには、こう考えていることに気づいた!

  • 最後には何かしら希望の光を見せなくては
  • 主人公は受け身でいてはいけない。自分から行動を起こさせなくては。
  • その行動の結果として、「一歩進んだ」というラストにしなくては

 

あれ?? 

ま、「できすぎたハッピーエンドは嫌い」なので、私の作品も、決して手放しで「ハッピー」って感じのラストにはなっていないのだけれど、以前に比べると「最後は前向きに終えよう」という意識が強くなっている。

 

それってなんでだろう、と考えて分かった。

 

  • ある賞の最終選考まで残って落ちたとき、落選理由が
    「暗すぎる。ラストに希望がない」
    だった。
  • ある賞の大賞を逃し、佳作になったときの選評に
    「物語のはじめと終わりで、主人公に何の変化も感じなかった」
    とあった。
  • ある作家の小説講座を受けたとき
    「主人公が自ら行動を起こすことが重要」
    と言われた。

 

全部、人の言葉を気にしてのことだった!!

 

桜木さんの作品は、希望を少し感じるものもあるけれど、「暗すぎる」「希望がない」「はじめと終わりで主人公に変化がない」と評されてもおかしくない作品も多い。

でも、「この作品、いいなぁ」と思う読者がいるのは、なぜかというと、きっと、揺らいでいないから。

 

私の場合は、たとえば希望のないラストを書いたとき、そのラストを書くことに「これでいい」という覚悟がないから、人に「暗すぎる」と言われて、「あぁ、小説って暗すぎるといけないんだ」なんて揺らいでしまう。

 

それくらいの覚悟だから、伝わらない。人に広く届けるパワーが足りていなかった。

 

この『起終点駅』のなかに入っている「たたかいにやぶれて咲けよ」という作品は、新聞記者の女性が主人公なのだけれど、その女性が最後、先輩記者に言われる。

「お前の記事には、覚悟が足りないんだ。そんなもん、どうやったって届かない」

本当、すべてはこの一言に尽きるな、と思った。

 

小説を書くことに限らず、文章を書くことに限らず、人に伝わるか、届くか、響くかは、それをするひと、発信する人の「覚悟」というエネルギー量にかかっている。

スピリチュアル的にいうと「波動」という言葉になるんだろうけれど、別にスピリチュアル的に言わなくたって、それは「覚悟」っていうことなんだ、と、自分のなかで腑に落ちた。

 

自分が納得するものを、人の意見は脇に置いておいて、まっすぐ、形を変えず、「覚悟を持って」発信していきたい、と思う。

 

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